私たちが毎日見ている信号機。日本の「青信号」は緑色なのに「なんで青って呼ぶの?」という素朴な疑問から、このテーマは始まります。
結論を先にまとめると、日本で「緑色の信号」を「青信号」と呼ぶのは、1つの理由ではなく、
- 日本語の歴史
- 新聞などのメディアの言葉の選び方
- 法律の決め方
- 信号機の技術(色の作り方)
が長い時間をかけて重なり合った結果です。
ここから、その流れを説明していきます。
なぜ「緑」なのに「青」と呼ぶのか
まず前提として、今の信号機の「進め」のライトは、機械で波長を測ると「緑色」のグループに入ります。
- 人間の目で見ると、青緑っぽい色
- 物理的な光としては、緑のなかでも青よりの色
なのに、教習所では「赤・黄・青」って習いますし、親も「青になったら渡りなさい」と言いますよね。
ここに「見えている色」と「言葉で呼ぶ色」のズレがあります。
このズレを生み出した大もとが、日本語の「青」という言葉の歴史です。
日本語の「青」はもともと広い「色のグループ」
昔の日本語には、今ほどたくさんの色の名前がありませんでした。
代表的な色を表す言葉は次の4つだけだったと考えられています。
- 赤
- 黒
- 白
- 青
このときの「青」は、今の「青(ブルー)」だけではありません。
- 空の色
- 海の色
- 草や木の葉っぱの色(つまり緑)
- 青リンゴ(緑のリンゴ)
- 顔色が悪いときの「青白い」
こんなものが全部ひとまとめに「青」のなかに入っていました。
一方で、「緑(みどり)」という言葉は、もともとは「新芽」や「若い葉っぱ」そのものを指す言葉で、「色の名前」というより「若々しい植物」のイメージに近いものでした。
だから、「緑色のものを青と呼ぶ」ことは、日本人にとって長いあいだ、とても自然な感覚だったのです。
- 青葉(実際は緑)
- 青竹(実際は緑)
- 青虫(実際は緑)
こうした言葉は、今でも普通に使われていますよね。
信号機が日本に来たときに起きたこと
次に、信号機そのものの話です。
1930年ごろ、日本に初めて本格的な自動式の交通信号機が導入されました。
色は世界標準と同じ「赤・黄・緑」。当然、「進め」の色は緑として作られたものです。
ところが、ここで「言葉の選び方」が大きな影響を持ちます。
当時、新聞がこの新しい装置について記事を書くとき、
「車が進んでよい合図」を「青信号」と表現してしまったのです。
日本人の感覚では、もともと「緑も青の仲間」だったので、
- 「赤・黄・青」と書いた方が収まりがよく感じる
- 「青」の方が原色っぽくて、パッとした感じがある
といった理由から、「緑信号」ではなく「青信号」という言葉が広まっていきました。
新聞という、大勢の人が読むメディアがそう書いたことで、
「信号は赤・黄・青」というイメージが一気に定着してしまったのです。
法律の中に「青色の灯火」と書かれてしまう
戦後になって、日本の交通ルールは法律としてきちんと整えられました。
その中で、信号の色も正式に文章で決められます。
ここで担当者は、次のような選択を迫られました。
- 実際の色に合わせて「緑」と書くか
- 人々の常識に合わせて「青」と書くか
結果として、法律は「青色の灯火」という言い方を採用しました。
つまり、現物の色はほぼ緑だけど、法律の言葉では「青」と書くという状態になったのです。
一度法律に書き込まれてしまうと、教科書、教習所、看板、試験など、社会のあらゆる部分に「青信号」という表現が使われ続けます。
ここで、「みんなが青と言っているから、法律も青」となり、「法律が青と書いているから、みんなも青と言い続ける」というループができてしまいました。
国際ルールとのズレと「1973年の苦肉の策」
世界の交通ルールをまとめた国際的な条約では、信号の色ははっきり「赤・黄・緑」と定められています。
海外の人から見ると、日本が「青信号」と呼んでいるのはおかしく見えます。
そこで日本としては、次のような矛盾に直面します。
- 法律上は「青色の灯火」と書いてある
- しかし、国際的には「進め」の色は「緑」だと決まっている
この問題に対して、日本が1970年代に取った解決策が、とても日本的な「折衷案」でした。
それは簡単に言うと、
「緑と認められるギリギリの範囲の中で、できるだけ青っぽく見える色を選ぶ」
というやり方です。
- 国際的な色の基準上は「緑」の仲間
- でも、人間の目には「青緑」「水色っぽい緑」に見える
そんな色が、信号の「進め」に採用されることになりました。
こうして、国外には「これは緑の信号です」と説明できて、国内では「ほら、青っぽいでしょう。だから青信号でいいんです」と言い張れるという、ちょっとした「言葉と現実の間の調整」が行われたわけです。
LED信号の時代と「青っぽい緑」のメリット
2000年代に入ると、信号機のライトは電球からLEDに変わっていきます。
LEDは、特定の波長の光をキレイに出せるので、「どのくらいの青さ・緑さにするか」をかなり細かく決められます。
日本の青信号では、LEDになってもやはり「青寄りの緑」が選ばれました。この結果、今の信号は昔よりもはっきりと「青緑っぽく」見えるようになっています。
そして、この「青寄りの緑」には、思わぬメリットがありました。
それが、色覚多様性(よく「色弱」「色覚異常」と呼ばれるもの)への配慮です。
- 赤と普通の緑は、見分けにくい人が一定数いる
- しかし、日本の「青寄りの緑」は、黄色や赤と区別しやすい
つまり、青信号を少し青よりにしておくことで、
- 赤信号
- 黄色信号
- 青信号
が、よりはっきりと違う色として認識されやすくなります。
これを重視した「カラーユニバーサルデザイン」の信号では、青信号をより青寄りにし、赤信号の形を工夫するなど、安全性を高める工夫も行われています。
かつては「言葉のクセのせいで色がゆがんでいる」と思われていた「青信号」が、結果的には「色の見え方が違う人にも優しい信号」になっている、というのは面白いポイントです。
世界と比べたときの日本の特別さ
世界には、日本語のように青と緑の区別があいまいだった言語がたくさんあります。それでも、多くの国では、近代化の過程で信号の「進め」の色は「緑」として整えられました。
- 中国では「緑灯」
- 韓国でも、昔は日本語の影響で「青い光」と言うこともあったが、今は「緑」と教える方向へ
- ベトナムなど、青も緑も同じ言葉で表していた国々も、説明のしかたを工夫して区別をはっきりさせるようになっている
そんな中で日本は、
- もともとの「青」という広い色のグループを維持したまま
- 信号機という近代的な装置を取り入れ
- さらに法律や機械の仕様にまで「青信号」という呼び方を埋め込んだ
という点で、とても珍しい存在です。
「言葉の都合にあわせて、信号の色の方を調整した国」と言えるのは、日本くらいでしょう。
「言葉が世界の見え方を変える」という話
この「青信号」の話は、実はもっと大きなテーマとも関係しています。
それは、
「私たちは世界をありのままに見ているのか」
「それとも、使っている言葉によって見え方が変わっているのか」
という問いです。
日本語では、もともと「青と緑」の境界がゆるく、「青」の中に「緑」が含まれていました。そのため、日本人にとっては、「草や葉っぱ」「信号のライト」のような緑っぽいものを「青」と呼んでも、あまり違和感がありません。
逆に、英語では blue と green がはっきり分かれているので、「green light を blue light と呼ぶ」のは、かなり変に聞こえます。
この違いは、単なる言葉遊びではなく、
- 法律の文章
- 機械の設計
- 国際ルールとの付き合い方
にまで影響を与えているのです。
これからの時代の「青信号」はどうなるか
これから先、自動運転やAIが進んでいくと、信号の色を読み取るのは人間の目ではなく、カメラやセンサーになる場面が増えていきます。
機械にとって大事なのは、人間が「青」と呼んでいるか「緑」と呼んでいるかではなく、「どんな波長の光か」「どのくらいの明るさか」という数字の情報です。
それでも、人間同士が会話するとき、「次の青信号を右に曲がって」「青になったら渡ろう」といった言い方は、きっとなくならないでしょう。
翻訳アプリや外国人向け案内では、
- 実際の色に合わせて「green light」と訳すべきか
- 日本人の言い方に合わせて「blue light」と訳すべきか
といった悩みも、しばらく続きそうです。
日本の「青信号」は、
- 古い日本語の色の感覚
- 昭和初期の新聞の表現
- 戦後の法律
- 国際ルールとの調整
- LEDやユニバーサルデザインといった現代技術
が折り重なってできた、ちょっと不思議で、でも日本らしい存在です。
これからも、街角で青緑色に光りながら、日本語という言葉の歴史と、社会の工夫を静かに語り続けていくのかもしれません。

